中原開拓入植当時昭和24年〜入植30年記念式。

中原開拓は嬬恋村大笹区内にあり長野県神川村、村内大笹地区の方が主に入植者されました。
以下のページは中原農事組合の許可のもとに作成しました、これらの歴史は中原開拓の
私の祖父など先代入植者が、汗と涙を流して山林原野を開拓した貴重な記録です。
全ての著作権は中原農事組合にあります。
-----記念碑文から-----
今眼を閉じて往時を回顧すればすべて懐かしい思い出に変わる 母村神川村当局をはじめ地元嬬恋村当局 
さらに又関係各機関の指導援助を受けた恩愛を心より感謝し 併せて共甘同苦して築き上げた団結と努力を子孫に伝えるためこの碑を建てる
団長、山越修蔵氏
副団長、北川太郎吉氏
S24年、木を伐採して畑に。
S24年、原野の開墾,胸のあつくなる1枚
汗まみれの作業
このあたりは、今うちの畑みたい
S25年。みなで共同で生活
S24年。何をするにも皆で会議
S25年。牛と馬
S25年。馬
S25年。羊
S25年。やぎ
S24年、当時の共同宿舎、現在は公民館が建っている
S25年。待望の個人宅ができた
S38年頃の牛馬車。あー、あの道かなと想像
馬はすごい
耕運機時代、尾崎氏
当時キャベツ木箱で出荷された
S38年。ヘリコプター薬剤散布の模様
みなさん現在平均年齢70歳くらいになってる。
下段左から2人が2代目で親父の正です。
散布のようす
待望の機械(ブルドーザー)が導入される
普及しはじめたスタートというトラック
防除試験、当時こんな機械があったとは驚き
みんなで草津に旅行
S42年。待望の中原公民館ができた
浅間山噴火、当時はこのくらいの規模の噴火がかなりあった。
S47年頃。弟と私
S54年入植30周年記念、開拓魂ここに入る。
子供たち、お母さんがたの記念撮影、私は中学1年
入植初代の人たちは歳を重ねたが感無量の様子。
すでに故人となられた方が多数です。
故山越修蔵氏、祭壇へ

開拓記念碑碑文はこちらから

無断転載厳禁!