記念碑碑文

第二次世界大戦に敗れ打ちひしがれた人々は虚脱と混乱の中に希望を失っていた この時長野県神川村当局と農地委員会は食糧の増産と国土再建の一翼をすべく分村計画を立案し議決した昭和22年のことであった 先ず入植地を何処に求めるかで諸候補地の見分調査した結果浅間山山麓で群馬県側のこの地が神川村分村入植地に決定したのは翌23年であった 同年に入植希望者を募り24年に開拓団を組織した団長に山越修蔵 副団長に北川太郎吉両氏を決定した団員総数は30名で農家の次3男などを主として引場者戦災で家を失った者などさまざまであった 団員は新しい大地を拓き理想の村を建設すべく固い団結と意思を誓い合い勇躍して入植地に移住した 然しそれぞれが資金も無くその日の食にもことかくありさまであった 地味のやせた入植地の欠点や幾多の災害遭い時には絶望感に陥ったことも再三ではなかった今 当時を回想すればただ黙々と汗と土にまみれ営々努力した開拓魂の長い歳月の辛苦のみを思い出す 初の2ヵ年半間は共同生活を営み青春の血をたぎらして開拓の熱意一筋に頑張って人力と畜力により荒野もついに1戸当たり農耕地80アールと住宅23.1平方メートルの成果を挙げ22戸の各自が独立自営することに成功した努力は遂に報いられたのである 然し独立農となっても土地の未確定問題などがあり営農は必ずしも順調では無かった その絶望に堪えられず数名の団員の入れ替えがあり前途多難を思わせたが昭和36年に待望の機械が導入されたことにより開墾はにわかに進歩をみるに至り1戸当たり360アールの分配面積が完了し 将来に光明を見出すことができた 昭和33年には電気が導入され37年には水道施設が整った それぞれ独立した団員は酪農を始める者蔬菜を主とする者等 開拓地に適した営農形態により安定化の方向へと進んだが最終的には蔬菜1本に集約されたことにより収入も急激に増大した こうして30年前に夢見た楽土はここに功を収め文化的生活を営むことができたのである かつての荒野に大型機械が逞しい響きを伝えて近代農村としての成功をたたえているかのようである今眼を閉じて往時を回顧すればすべて懐かしい思い出に変わる この間母村神川村当局をはじめ地元嬬恋村当局 さらに又関係各機関の指導援助を受けた恩愛を心より感謝し 併せて共甘同苦して築き上げた団結と努力を子孫に伝えるため入植30周年を記念しこの碑を建てる

昭和53年11月吉日

萩原 進 撰文
松村無心  書

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